以前のブログで、人の見方を変えることについて書きました。
他人を見た場合の第三者視点の味方を自分に置き換えた場合どうかという話でしたが、今回
は、自分が物事をどのように見るか、捉えるか関して書きますね。
固定概念とは、変化や柔軟性を排除した固執的な信念や考え方のことを指します。勿論、自己概念、信念を持つというのは素晴らしいことです。何もなければ、掴みようのない人物になってしまうでしょう。
私は、自己紹介でも申し上げましたが、アメリカ人と結婚しました。当時はそれ程メジャーでなく、両親も金髪青目に娘はやれないと(これも、かなりの固定観念と差別発言ですが)猛反対でした。勿論理由は他にもありましたが。
それでも、私が結婚した大きな理由の一つが、「違う」ということが明らかに認識、共有されているからでした。日本人同士だと、根底に日本人だから「わかって当たり前」「言わなくてもわかるだろう」その枠の中に嵌められることを、私は極端に嫌いました。アメリカと日本では、カルチャーも違う、時代背景も違う、勿論国民性も違う、違うことだらけなので、「違って当たり前」のスタンスに初めからかなり自然でストレスが少ないことが大きな選択理由でした。今振り返れば、日本人でも根本から「違って当たり前」の考え方をされていた方もいたかもしれませんが、残念ながら当時の私の周りにはいませんでした。
別に私の結婚話をしたいわけでなく、「違って当たり前」言い換えれば、「同じであることを強制しない」「自分のままでいい」スタンスを持っているということは、こうあるべき論的な固執的な信念や考え方に捉われず、開かれた心を持つこと、ストレスが少ない状態になります。
簡単な例ですが、ここにABの2つのグループがあります。
絶対完璧な丸でないといけないと思っているグループAは、そのことだけに捉われ広がりがありません。せいぜい、丸のサイズが変わるぐらいです。
逆に、いろいろな形でいいと思っているグループBは、こんな形、あんな形とアイデアが広がりやすくなります。
自分にとっても、また、組織にとっても、固定概念を見直すと新しいアイデア、概念が受け入れやすくなります。広がりが見える感じがしてきませんか?
固定概念は、名前の通り、固定してし染み付いているので、なかなか変えていくことが難しいものです。
その見直し方は、次回に⇒
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